●
|
昭和58年3月、光が丘パークタウンの第一次として、板橋区側のゆりの木通り北、練馬区のゆりの木通り南、公園南の入居が開始されました。 |
● |
当時は、大江戸線もなく、板橋区側の営団地下鉄か、成増へのバスルートしかありませんでした。翌年の大通り北、大通り南、シティコープなどが続き、大通り南七番街、そして、いちょう通り八番街、その後昭和62年、四季の香弐番街、パークシティなどから人気が上昇し、昭和63、春の風公園街、南通り六番街、パークサイドなどが、高い抽選倍率となり、話題となりました。 |
● |
時は、バブルへと向かう途上でした。その頂点に近い頃、いちょう通り東(第一)、いちょう通り東(第二)、そして平成3年、最後の分譲棟であるいちょう通り東(第三)入居の頃は、すでに日本経済のバブルが弾けていたのでした。 |
● |
光が丘パークタウンの新規分譲後、すぐに再譲渡住宅として、5年以内の公団、公社の承諾のいる住宅の売買仲介にたずさわりました。振り返って見ますと、昭和59年2月に、公園南の3LDK2階の住宅の売買第一号を皮切りに今日までに、中古分譲売買の売り主様、買い主様の合計が1,800組を超える事が出来、深く感謝いたしております。 |
● |
「週刊すまいる情報」も昭和63年6月より光が丘地域に発行させていただき、地域のミニコミ紙として今号で1,000号となりました。 |
● |
その記念として22年間の売買仲介の実績を団地別に報告させていただきました。これからも、光が丘地域におれる仲介実績、真のナンバーワン店として、皆様と共に歩み「必要とされる役立つ会社」を目指し、スタッフ一同、力を合わせがんばって参ります。どうぞこれからもご支援、ご指導よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。 |
|
*すまいる情報紙は当社にいらしていただければお渡し出来ます。 |
(株)すまいる情報光が丘
代表取締役 武藤 正子 |