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すまいる快適生活セミナーでの「ケアマネージャーとの上手な付き合い方セミナー」には多くの人の関心がありました。 |
私は和歌山の出身です。東京に移り住んで20年になりますが、主人の転勤が多く、それ以前は東京―大阪―四国間を14回ほど引越ししました。6年前、すまいる情報光が丘を通して今のマンションを購入し、もう転勤もなく、今やっと光が丘に落ち着きました。ちょうどその頃、娘が朝霞にいて出産間近だったので、大阪に戻る予定を取りやめ、光が丘のマンション購入を決心したのです。それよりも以前になりますが、その娘が光が丘に住んでいたことがあり、広い公園もあり、歩道は広く、何よりも便利な街ということで、光が丘は娘のおすすめの街だったのです。 |
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快適生活セミナーでの「ツボ講座」は大変好評で、3回ものリクエストが |
現在、前職だった鍼灸師・ケアマネージャーの経験を生かし、皆様のお役に立てるようにがんばっております。すまいるさんでの快適生活セミナーで「ケアマネージャーとの上手な付き合い方講座」や「ツボ講座」を開いたときも、たくさんの方にいらしていただきました。皆様の関心の高いことを知り、うれしく思いました。鍼灸師になったのも、ケアマネージャーの資格を取ったのも、「手に職を」という強い思いが昔からありました。6才の時に父が亡くなり、戦争未亡人をたくさん見てきたので、女も働かなきゃいけないんだと。資格+実力で、実際に使える実学は大切だという信念を持っております。 |
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日本語学校時代の教え子の卒業記念に |
もともと私は、結婚前に社会科の高校教師でした。結婚・出産後も続けていましたが、主人の四国転勤を機に退職し、高松で水道方式の算数教室を始めました。37才で
鍼灸学校に通い始めました。当時、「変わったことをやるのね」とみんなに言われました。しかし、若いときから座骨神経痛持ちだった私が、お灸で治ったという経験があったので、鍼灸には大変興味があったのです。40才で資格を取得し、鍼灸師として大阪で開業しました。鍼灸師ではわからない分野、例えば筋肉・関節・頭蓋骨のずれなど、このようなことにも興味を持ち、スペインのマジョルカで武道を教えていた先輩からキネシオテーピングの基本を学びました。当時、キネシオテーピングはまだ珍しかったのですが、その威力は素晴らしく、これを使うことに自信を持ちました。
転勤による引越が多かったものですから、また東京に越してきたときは日本語能力試験というものに挑戦し合格。東京でも鍼灸をやりながら、10年ほど日本語教師も務めました。主にアジア諸国の学生に日本語を教え、日本にいながら外国を味わえて楽しかったです。
日本語教師の後は、ケアマネージャーの資格を取りました。ヘルパー経験が5年なくても、鍼灸師として人の肌に触れていたので、受験資格があったのです。ケアマネージャーとして4年半働きました。 |
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日本語学校教師時代の教え子達と |
このように私にはいろいろな経歴・職があります。転勤族だったためか、場所が変わるたびに新たな資格も取得し、その土地での生活に変化をつけていたのかもしれません。もちろん、学ぶことや教えることが好きだったわけですから、日々充実していました。今、やっと光が丘に落ち着きました。大変満足しています。季節が変わるたびに木々・花々の変化を見て楽しいです。心も落ち着きますね。
今後は、訪問鍼灸師として、そして、数学教室・日本語教師時代に培った知識や方法で、日本語の文法についての考え方を広めていきたいです。計算をするときの算数の勉強方法が、言葉にも使えるのではないか、と思っています。水道方式といって、X軸とY軸を使って、難しいと言われている日本語の尊敬・謙譲語も、グラフを使えば簡単に覚えられるという方式です。外国人の方達にも好評でした。これからこの方式を興味のある方にお教えしたいと願っております。また、ケアマネージャーの仕事の続きとして、認知症の介護者の会にも参加し始めています。
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荒川区素盞神社での相撲甚句 |
ウクレレにスチールギター、ラテン音楽になんと相撲甚句まで。あと社交ダンスのクラスにも通って、定年後の生活を楽しんでいます。まさに今が青春そのものですね。こういった習い事を通して沢山の人たちと出会えるし、在職していたときにできなかったことが今できるんです。仕事の忙しさと違う忙しさで毎日充実しています。退職してから8年ほど経ちますが、その間に興味を持ったものはできるだけ試してみました。 |
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ハワイアンバンドでフラを踊る |
それでもね、もともと私は学生時代に軟式テニスの選手だったんです。小学生の頃、家の隣に高校のテニスコートがあってね、遊びながら教えてもらって始めてみたんだけど、その後は軟式テニス部に所属して本格的にやったんです。高校ではインターハイに出場して、大学の頃一般の部で出場した水郷杯というので優勝もしたんです。だから音楽だけでなく運動も好きですね。大学卒業後は生命保険会社に入社して、退職するまで38年間勤務しました。会社には軟式テニス部があって、そこに所属していました。 |
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四季の香弐番街のゴルフクラブ面々と |
私が48才の時に妻が亡くなったんです。それで自分への励みにと会社の人がゴルフを勧めてくれて、そこから私のゴルフ人生が始まりました。生き甲斐がなかったわけではないけど、いつまでも悲しんでいてはいけないと熱中するものをつくりましたね。それから退職するまでの週末はゴルフ三昧でした。ゴルフコースに予約を入れ、コースに出る前は打ちっ放しで練習といった生活を送っていました。 |
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自宅マンションの前で
娘さんと一緒に |
光が丘に越してきたのは昭和62年のこと。通勤中の電車の中で光が丘パークタウンの募集を新聞で見たんです。なんとその日が〆切当日で、でも私はどうしても手が放せない仕事があったもので、会社の知人に無理にお願いして現地まで行ってもらいました。そしたら補欠で当選したんです。そこから繰り上げ当選となって、なんとも強運でした。今ではマンション内の自治会のゴルフ同好会で、管理組合のシンボルマークを付けたおそろいの帽子もつくって、みんなで楽しんでいます。娘は結婚して所帯を持っていますけど、私の身の回りの世話をしに頻繁に光が丘に来てくれるんです。在職中は私の転勤で離れて暮らしたこともあったけど、娘と仲良くしていられるのもうれしいです。
そうそう、光が丘区民館でのウクレレ演奏会で知り合った光が丘第5小の校長先生に、ウクレレの特別授業を依頼されたことがあって、一昨年4年生にウクレレを教えたことがあるんです。一日だけの特別授業でしたけど、小学生の楽しんでいる姿や真剣な姿を見て、将来の音楽家がこの中から出ればいいなと思いました。そして何か一つでも趣味や打ち込めるものを持ってもらいたいな、と。 |
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カラオケ大会で
熱唱する鈴木さん |
私は子供の頃から何事につけとことん極めていくタイプなんです。日本地図を編纂した伊能忠敬の六世孫にあたる血筋がそうさせているのですかね。習い事はいい先生のもとで習いたいんです。スチールギターは世界で一番難しい楽器ともいわれているけど、プロの先生は納得のいく良いアドバイスをくれるし、がんばってついていっています。ラテン音楽にしても最初は原語で歌うのなんて大変だと思ったけど、一曲マスターすると次も次もどんどん歌いたくなるんです。以前通っていたカラオケスナックで「カラオケ大会に出てみない」と声をかけられ、それを機にいろいろなカラオケ大会に出場しました。優勝したこともあります。でもそのためにだんだん自分の趣味の時間がなくなっていくので、今は習い事での発表会を優先的に出るようにしています。それに、会社時代の仲間達とも付き合いがあるので、ゴルフやハイキングも楽しんでいます。このまま輝き続けていたいですね。新たに今年、自分自身への課題を作りました。民謡を習ったこともなく、全くの素人でどこまで出来るかわかりませんが、「江差追分」に挑戦します!
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